片岡城跡(かたおかじょうせき)
片岡城跡は、南北に伸びた馬見丘陵の最北端、下牧集落の背後にあり、河内から明神山の北を越え、田原本に至る古道に面し、俗に「城山」と呼ばれています。城山の西の片岡谷一帯が中世の興福寺一乗院領の諸荘園であり、下牧集落の東を流れる滝川一帯には牧山上荘下荘が展開していました。これらの荘園を本拠に成長した国人片岡氏が片岡城を築きました。片岡氏は後に河内国の松永久秀によって滅ぼされ、片岡城も天正五年(1577)には明智光秀の軍に落とされ、今は城跡だけが残っています。